嘘つきにとってのエイプリルフール

今回は嘘つきにとってのエイプリルフールを考えてみた。

 
先ず、私は嘘というものに対して肯定的な考えがある。
勿論、良くない嘘、悪い嘘もあるとは思う。
 
ただ結局、虚実というものは自分次第だと思うんだよね。
 
例え真実であっても信じる事が出来なければ嘘になる。
例え嘘でも信じてしまったら本当になってしまう。
 
その様な側面もある事は否定が出来ないだろう。
 
そして、そんな私はワンピースという漫画のウソップという登場人物が初めて物語に登場したエピソードが好き。
 
自分の暮らす村が海賊に襲われようとしている。
その情報を耳にしたウソップは村人達に危機を知らせる。
しかし普段から嘘ばかりついていたウソップの言葉を村人達は信じなかった。
それならば、とウソップは村が海賊に襲われるという事を嘘にする為にと海賊に立ち向かう。
 
簡単なあらすじはこんな感じ。
 
嘘を嘘のままで終わらせてしまうのか、嘘を本当に変える事が出来るのか。
事実を嘘に変えてしまうのか、事実をそのまま受け止めるしかないのか。 
 
全て自分次第であるのではなかろうか。
 
そして、その様な考え方の私は嘘をつく事自体に罪悪感は無い。
だから日常的に嘘をついているだろう。
 
そんな嘘つきの私であるが、嘘つきであるからこその誇りもある。
 
それは、
 
『他者を傷付ける為の嘘はつかない』
 
という事。
 
そんな誇りを胸に日々、嘘をついている私にとってエイプリルフールとは。
 
何も特別な日にはならない。
普段通り、いつも通りの日常である。 
 
自分にとって嘘をつく必要があれば嘘をつくし、必要が無ければわざわざ嘘をつく様な事はしない。
 
そして周囲が嘘をついているのを見て楽しむ。
普段、嘘をつかない方が戯れで嘘をつくから面白い。
 
普段から嘘ばかりついている方がエイプリルフールだからと言って嘘をついても、エイプリルフールのありがたさが減ってしまうよね。
 
だからエイプリルフールとは普段、嘘をつかない方が戯れで嘘をつく日だと私は思っている。
 
嘘つきは普段から嘘をついているのだから、こんな日くらいは他の方に譲ってあげましょう。
 
そして傍観者になってエイプリルフールを楽しもう。
 
それが私が考える「嘘つきにとってのエイプリルフール」だ。