投稿サイトに蔓延る表現格差

先ず初めに、私が言えた義理では無い事は申しておきます。

 
何故なら、私は他人の作品を一切、読みません。
 
その上で私が感じた事を好き勝手に述べさせて頂く。
 
それをどう受け取るかは、読んで頂いた方にお任せします。
 
私はネットで創作を始めた当初、投稿サイトの存在を知りませんでした。
 
或いは、当時はまだ、その様なサイトは無かったのかもしれません。
 
だから当時、私は自分でHTMLを書いてwebページを作り、そこに自分の作品を掲載していました。
 
そして当時は投稿サイトというよりも、それぞれが作ったHPをリンク集に登録し、そのリンク集を通じて、少ないながらも数人の方々と交流をしていました。
 
その後、私は長期間、ネットを離れる事になり、約八ヶ月前に漸くネットに復帰する事が叶ったのです。
 
復帰してから、以前に書いていた作品の続きを書こうと思って、今度はブログで掲載を始めました。
 
ブログに関しては、私がネットを離れる以前から広まってきてはいたので、ある程度はどの様なものか理解はしていて、手軽に作品を掲載が出来ると思ったのです。
 
ところが作品を発表する場として、ブログはすでに時代遅れになっていた様で、はっきり言って、全くと言っていい程に何の反応もない状態でした。
 
ちょっと調べてみると、どうやら現在は投稿サイトで作品を掲載する事が主流となっている様でした。
 
そこで私は先ず「小説家になろう」という投稿サイトを利用する事にしたのです。
 
此処で私は投稿サイトに蔓延る表現格差を感じたのです。
 
その後「カクヨム」が出来て、すぐに利用を始めました。
 
私個人的には「カクヨム」の方が反応があったので「カクヨム」の方が幾らかマシには思っているが、それでも表現格差という点では大差はない様にも感じている。
 
では、その表現格差とはどの様なものか。
 
私が「小説家になろう」を利用してから、すでに半年以上が過ぎました。
 
しかし、殆ど何の反応もありません。
 
ブックマークが数件に、評価が数件程度しかない状況です。
 
それも一つの作品に対してであれば、表現格差とまで騒ぐ必要はないでしょう。
 
しかし私はかなりの量を投稿しているのに、その程度なのです。
 
勿論、それを他人の所為にするつもりはありません。
 
私がその程度のものしか書けていない事が問題なのでしょう。
 
私が表現格差と問題にしているのは、それでも誰一人として助言してくれる方すらいない事なのです。
 
ブックマークも評価も頂けないのは力不足なのだから仕方がなかったとしても、力不足であるのであれば、逆に助言してくれる方が一人や二人くらいいてもいいと思うんだけどね。
 
あれだけのユーザーがいるのだから。
 
こうなると私の能力不足だけの問題じゃない様に思った。
 
それは勝手な見方なのかもしれないが、力のある者が力の足りない者を助けようとする意識が足りない様に感じたのです。
 
決して力のある者が力の足りない者を助けなければならない訳ではないし、力のある者からすれば、力の足りない者の相手をするよりも、自分と同等、或いはそれ以上の者と切磋琢磨した方が楽しくもあるだろうし、自身を鍛える事にもなるだろう。
 
また力の足りない者を助ける事で、助けた方は自らのライバルを育てる事にもなりかねません。
 
そう考えると助ける事自体が馬鹿らしく思えたりもするのかもしれません。
 
しかし力の足りない者を助けないでいると、どの様な事になるのか。
 
一つの例として私の事をお話させて頂くと、私は他者の作品を読む事が怖くなってしまいました。
 
「小説家になろう」で余りにも相手にして貰えなかったので、完全に心が折れてしまいました。
 
ブログだったから反応がなかったのではなく、投稿サイトでも大差はなかったのです。
 
そして他者の作品を読むと、自分の作品を否定される様に感じる様になってしまいました。
 
そして、それは自分自身を否定される様にも感じるのです。
 
それで私は他者の作品を読まなくなりました。
 
私は以前から余り他者の作品は読まない方ではあったが、怖いとは思っていなかったし、全く読まない訳では無かった。
 
しかし今はもう全く読む気になれない。
 
読むよりも書く方が全然に楽しいし、読む事は苦痛でしかない。
 
だから読んでなんて貰えなくてもいいから、ただただ書いていたい。
 
どんなに頑張って書いても、どっちみち読んで貰えない。
 
だったらば他者の作品は読まずに、ただただ書いていたい。
 
それはある意味、自慰行為の様でもあるが、それも仕方がない。
 
結局、モテない者が自慰行為をするしかないのと同様に、力の足りない者は自己満足で我慢するしかない。
 
そして、そんな私と同様な方はもっといる様に思うのです。
 
それとも、そんなのは私だけなのかな。
 
もし私だけだとしたら、このエッセイ自体もとんちんかんなものになってしまうでしょう。
 
とりあえずは、もっといるという事で話を続けさせて頂く。
 
要するに力のある者が力の足りない者を助けないでいると、どんどん読む人を減らしてしまいかねません。
 
私の様に自己満足に走ってしまうと、他者の作品を読む機会はぐんと減ると思う。
 
私はちょっと極端過ぎるとは思うけどね。
 
とにかく夢を見る事が出来なくなった者は自己満足に逃げるしかなくなる。
 
その結果として需要を減らしてしまい、需要側の多様性を損ねる事にもなる。
 
一方、供給は増え続けて、供給側の多様性は広がり続ける事になる。
 
どんどんと歯車が噛み合わなくなっていってしまう。
 
そして噛み合わなくなった歯車が格差を広げていく。
 
そんな状況になってしまっている様に思うのです。
 
それが私が感じている表現格差なのです。
 
そして、それは経済格差と同様な現象を起こしている様にも思う。
 
富裕層が金を溜め込む事で貧困層の選択肢がどんどん奪われていく。
 
それが需要を減らし経済を停滞させている。
 
それと同様に表現力のある者達だけで、どんどん表現力を高め合っていって、表現力の足りない者はずっと足りないまま。
 
どんどん格差が広がっていくだけ。
 
その格差の中で底辺にいる者は自己満足に走るしかなくなり、その結果、作者と読者のバランスが崩れて、作者だけが増えて読者が減ってしまう。
 
そして読者を求める作者の不満がどんどん膨れていく。
 
そんな悪循環に陥っているのではないか。
 
それを解消する為には面白い作品を書ける方が、積極的につまらない作品を読まなければならない。
 
本当に理不尽な事なのかもしれないけど、それをやらないと業界そのものが、どんどん萎んでいってしまうんじゃないでしょうか。
 
しかし現状は力のある者が力の足りない者に自分の作品を読んで欲しいと訴えている。
 
それは決して力の足りない者を標的に訴えている訳ではないのでしょうが、結果的にそうなってしまっているのです。
 
それは社会のシステムの問題でもあるので、仕方がない面もあるのでしょうが、それでも力の足りない者の立場からすると、自分が読んで貰えなくて苦しんでいるのに、何故、自分より読んで貰えてるものを読まなければならないのかと、理不尽に思えたりもするのです。
 
更に力のある者からすれば、力の足りない者程、力のある者の作品を読んで勉強すべきだと思うのかもしれないし、それは確かに一理ある。
 
しかし本当に力の足りない者は勉強したところで無駄な様に思えてしまうのです。
 
勉強をしようと思えるところまでいく事すら出来ない。
 
他者の作品を読む事に希望が持てなくなってしまう。
 
そして力のある者は、その様にいじけた方まで、一々、気遣ってはいられないと思うのかもしれません。
 
それはそれで、決して間違いとまでは言えないでしょう。
 
でも、そうやって切り捨てられた方は、どんどん他者の作品を読めなくなっていったりもするのです。
 
それは、どんどんと読者そのものの数を減らしていってしまう事にもなる。
 
そして読者が減れば減る程、読んで貰える方も絞られてきてしまう。
 
どんどんと格差が広がってしまうだけなのです。
 
勿論、その様な事態になっても読んで貰えるだけの才能があれば、読者が減っても問題にはならないのかもしれません。
 
でも、そこまでの才能のある方って、どの程度いるのでしょうか!?
 
そして、そこまでの才能のある方は、わざわざ投稿サイトで活動する必要はないと思うんだよね。
 
プロの作家として十分にやっていけるはず。
 
その様に考えると投稿サイトで活躍が出来ている方は中間層と言え、このまま格差が広がれば広がる程、そこからこぼれ落ちる者も増えてくる。
 
勿論、中間層にいる者が上を目指す気持ちは解らないでもありません。
 
しかし上だけ目指していると、中間層そのものが無くなりかねない。
 
そうなった時に自分が強者側に行けるのか、弱者側に行ってしまうのか。
 
一部を除いた、殆どの者は弱者側になってしまうと思う。
 
また読者という需要を減らしてしまう事は、強者側の枠そのものを狭めてしまい、強者側の立場を脅かす事にもなるし、中間層にいる者達が強者側である作家として独り立ちする確率をも下げてしまうでしょう。
 
そうならない為の具体的な手段として、PVや評価の多い者がPVや評価が少ない者の作品を積極的に読んで、適切な助言等していく事が必要なのではないかと思うのです。
 
少なくとも底辺にいる者達にも夢を見させておく必要があるのではないでしょうか。
 
そうする事で底辺にいる者達も自己満足に走らずに、勉強する為にと他者の作品を読む意欲に繋がると思うのです。
 
そして、それが自らの夢を繋ぎ止めておく事にもなる。
 
最初に申した様に、すでに夢を諦めてしまった私が言っても、何の説得力も無いのでしょうけどね。
 
ただ、誤解無きように申しておきますが、決して私の作品を読んで欲しくて、こんな事を言ってる訳ではありません。
 
勿論、読んで頂けたら嬉しくはあります。
 
だけど、私の方から他者にそれを求める事はしたくない。
 
何故なら、私はすでに諦めてしまった人間です。
 
そして私は後、数年程でネットから去らなければならなくなるでしょう。
 
今使用している端末の寿命が尽きたら、再び新たに端末を用意する事は出来ない様に思うからです。
 
正直に言うと、あわよくば文章を書く事で端末を買える様になりたいと思っていたのですが、実際に色々と書いてみて、私にはその才能は無い様に思った。
 
だから私は自己満足に走ったんだけどね。
 
とにかく今はもう、端末の寿命が尽きるまでの間、自己満足で構わないから、好きな事を書かせて頂けたら、私はそれで十分なのです。
 
私の場合は後、数年なんだから、それでいいと思う。
 
それに私はもう手遅れだとも思うしね。
 
例え今更、多くの方に読んで貰えたとしても、勉強の為に他者の作品を読みたいと思える様にはなれないでしょう。
 
そう簡単にこの恐怖は拭えない様に思う。
 
また、これから中間層やその上を目指すのも面倒臭いし、出来るとも思えない。
 
残された数年を好き放題に書いていければ、それでいい。
 
決して向上心の全てを無くした訳でないが、好き放題に書いてる中で上達が出来れば、それでいい。
 
しかし私以外の方は数年じゃ済まない方も多いでしょうし、まだ手遅れでない方も多いでしょう。
 
そして文学界の発展を私なりに真剣に考えてみたら、この表現格差の是正は必要に感じたのです。
 
結局、文学界に限らず、どの世界においても、強者が弱者を助けていかないと、その世界の発展はない様に思うのです。
 
その為にも文学界においては、私の様に自己満足に走る者を減らしていく必要もあるのではないか。
 
力のある者が積極的に力の足りない者を助け、底上げを促す事が業界の発展に繋がるのではないか。
 
弱肉強食は世の常なのかもしれないが、その一方で弱者の切り捨ては世界の衰退を招く。
 
何が正しいのかは判らないが、弱者を助ける事が世界をより豊かなものにしていくのではないでしょうか。
 
決して要求する訳ではありませんが、その様にしていった方がいいんじゃないかと私は思う。
 
とは言え、私がこの様な事を弱者の立場から言っている限りは、強者側からすると、受け入れ難かったりはするのでしょうけどね。
 
そして私は確かに弱者であり、本当に底の方にいると思うけど、こんな事を言っている以上、私には助けて貰う資格は無い様にも思っています。
 
それでも底の方にいるからこそ、感じれる事もある。
 
底の方にいるからこそ、思える事もある。
 
底の方にいるからこそ、言える事もある。
 
自己満足で構わないから、その様な事を発信していきたい。
 
今はそんな風に思っています。
 
こんないじけた事を私以外の誰が言えるのだろう。
 
下手したら、みんなからハブられかねない。
 
底辺にいる覚悟がないと言えないだろう。
 
その覚悟の上で、率直に感じた事を書かせて頂きました。