フィクションは変化球

あくまでも私の個人的感覚の話。

 
ノンフィクションが直球だとするならば、
フィクションは変化球だと思う。
 
ひょっとしたら、過去記事で書いたかもしれないが、
また、言いたくなったので書いてしまう(笑)
Twitterでツイートしただけかも。
Twitterをやってると、ごちゃごちゃになるな(苦笑)
 
それで何故フィクションが変化球なのか。
直接的な表現が憚れる事を
フィクションであれば表現が出来る。
そういう事もあると思うのです。
 
解り易く例を挙げると、
時代劇の必殺シリーズなんかは、
そうなのではないかと思うのです。
他にも私刑を扱う作品は少なくありません。
 
私刑が現実のものであれば、
大変な問題にもなります。
しかしフィクションである事で、
物語として表現する事が出来るのです。
 
そしてその様な作り話の中に、
作者は様々なメッセージを込める事が出来るし、
読者は様々な解釈をする事が出来る。
それが文化というものの様な気がします。
 
ただ直球にしろ変化球にしろ、
野球と物語には違いがあります。
 
野球は投手が打者を打ち取る為に投げますが、
物語の方は読者に打ち返して貰う為に投げる様なもの。
 
そう考えると、ある意味、作家さんは、
バッティングピッチャーなのかもしれません(笑)
 
そして私はバッティングピッチャーとしては、
ノーコンなのかもしれないな、なんてね(^^;